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2014年 05月 15日
気持ちのいい季節がつづいています。
アルバート。こんにちは。 以前、ある人から 「エゴは肉体に魂をとどめておくためにある」と 言われたことがあります。 前回の 『思い出すことでまた源に還って行く、 そのために忘れてきてるんじゃないかな。 源があることさえ忘れて。 還るところがはっきりとわかっていたら、 還りたくなっちゃうんじゃない?すぐに』 と、いうメッセージを読んだときに そのことを思い出しました。 エゴ-----その言葉が適切かどうかわからないけれど----- がまったくなくなると この世界にいなくてもいいと思ってしまうから すこしはあったほうがいいということでした。 だけど、エゴがおおきくなりすぎると それはそれで問題で・・・とも。 「バランスなのかな?」と思いつつ 「エゴはわるいように言われているけれど 必要があるからエゴもあるということね」と 思ったのです。 『すぐに還りたくなっちゃうんじゃない』 というのも、 そこにいけば「充たされていた」ことを 知っているから? 「ひとつである」ということをわかっているから? いまね。 ディズニー映画の 『アナと雪の女王』がヒットしているそうです。 わたしは観ていないので (まるちゃんは観たようです) 映画自体のコメントはできないのだけれど 主題歌が「ありのままで」というのです。 『ありのままの自分になるの』 『これでいいの自分を信じて』。 日本語訳がそうなっているのだけれど、 これはすごいことかもしれない・・・。 「あなたのままでいい」。 「わたしのままでいい」。 ということでしょう。 無意識かもしれないけれど、 もしかして「それでいい」ということを 思い出しはじめているのかなあ。 (ジブリの『かぐや姫の物語』のときも 「このメッセージ!」と思ったのです) 『その勇気を出す、大きなポイントが今です』 というアルバートからのメッセージが、 外からもきているのかもしれないですね。 ゆうこ 「宇宙ポスト27のお返事」 やほーーう! 満月!だねえ。 どうですかーみんなげんきかな? ここへきてからだの調子を崩しているひと、 気持ちやもろもろがぐらぐらして揺れているひと・・・。 まだいると思うけれど、 その流れから何を感じるか? が大切だからね。 からだのことを注目しつつ、 その波に飲み込まれないような目線も持ちつつ、 たのしんでね。 さて今回は「エゴ」について。 エゴというのは、何なのか? 自我といったり、思考といったり・・・。 いろんな意味合いがあるみたいだけれど。 エゴはよくないものだ! というのもエゴだし・・・。 だからといって、全くない状態になっているひとがいるか? といえば、ボクも「めったにいない」と感じているよ。 エゴが人間のからだをこの次元に繋ぎとめていて、 だから必要である、とまでは思わないけれど、 じぶんが何であるか? という認識は「思考」の力で起こっていることもあるから、 それをエゴというならそうなんだろうなと思う。 お豆腐でいえば「にがり」みたいな存在かなあ。 豆乳に投入!したら、 固まるけれど、投入しなければ豆乳のままだよね。 うふふ(笑) でもお豆腐でもなめらかなものがいいといえば、 にがりも絶妙なバランスで入れないとそうならないし、 ゆうこが言ってたバランスというのは そういう感じだとボクは思うよ。 還りたくなっちゃうというのは、 そうだね、源とひとつであるということが、 先にわかっちゃうならば、ここに居なくてもいっか! と感じてしまうひともいるんじゃないかな。 それがもともとわかってるひとで、 地球でやることがはっきりしている、 というひとも増えてきたけどね。 でもそんなにはまだいないはず。 からだを持ってきているということは、 様々なチャレンジがある訳で、 それを選んでやってきている魂であるキミたちは、 思い出していく・・・というミッションがあるんじゃないかな。 それは誰かに課せられたものではなくて、 宇宙的に自分で設定したミッションだよ。 だからわくわくするし、 やりがいもあるの。 自分で好きで決めてきた訳だから。 持ちこしてきた課題さえも、 それは試練ではなくて、 魂的にいえば、「盛り上げてくれるもの」なんじゃない? 今は全くそうは思えなくても キミたちの魂は知っていること。 エゴの話とは離れちゃったかな? 思い出すというのは考えても出来るものじゃないから、 からだを使って体感し続けるということが大切だよ。 エゴというのは、ジャッジしたり、決めつけたり、 被害者意識を持ったり・・・そういうことだと思うけれど、 それも居心地が悪くなれば、止めようと思うだろうし、 止められないとしたら、何か原因があるんだろうね。 自然な感じでいえば、 心地よくないことってたいていのひとは好きじゃないでしょう? 生まれてすぐの赤ちゃんは心地悪いとすぐ泣いたりするし、 基本的に我慢しないよね。そのまんま。 エゴって感じられないでしょう? 自分もそういう存在だったんだよ。 どう思われてるかな?とか関係なく、 泣いたり笑ったりするでしょう? それだけで愛される。 でもある程度大きくなってそれじゃ生きていけないよ! って段々いろんなふうになっていく訳だけど、 自分も生まれたときはエゴはなかったんだ、 って思えば、0のポイントに一瞬でも帰れるんじゃないかなあ。 もっと深い部分で言えば、 今だってエゴなんてないし、みんなの内側は愛だけなんだよ。 だけどエゴがあるって思うことも、それでいいし、 どっちだっていいの。 じぶんが居心地がいいか?どうか?だけ。 エゴがある!って感じた時、 すごく罪悪感があってイヤだなあって思うなら、 エゴを失くせ!という方向じゃなくて、 エゴがそもそもあるって思っていることを 疑ったほうがいいかもね。 人間の思考というのは、 瞬時にいろんなことを見えなくさせているから、 ほんとにハートに聞くといいよ。 胸とか喉とかお腹とかのかたまりとか、 内側から起こってくる印象とか感覚を感じてみてね。 映画のことは、ボクは知っているけれど、 いろんなメッセージが含まれているから、 観たひとの感じたことでいいと思う。 まるはいろんなことを感じたみたいだけどね。 「ありのままでいい」「じぶんを信じる」 というのはどちらもひとつのプロセス、通過点で、 導入の部分だから。 映画で観ることは、すごくドラマチックで、 感動的なんだろうけど、 実際にキミたちに起きることの、気づきのほとんどは、 日常的なすごく些細で地味なことかもしれない。 その積み重ねで、 日常が逆にすごく美しかったり、ドラマチックだったり、 面白いなあ!と感じられるようになるんじゃないかな。 日常のバイブレーションって本当はすごく繊細で美しいんだよね。 どんな名作の映画よりも。 だけど、きっとそれを忘れちゃったりしているから、 いろんな時代でいろんな作品が生み出されて 多くのひとの影響を与えているんだと思う。 忘れる・・・って そういう意味でも、すごいことだよね。 人間に与えられた叡智のひとつかも。 忘れることが出来るから思い出すことも出来るんだよね。 そして、そろそろ、「思い出せないと思い込んでいること」 を忘れる時代になってきていると感じるよ。 手放したときに、本当に必要なことがやってくる、 ってよく言うけれど、そういうことだと思う。 空っぽだと思っていた部分が 本当は満たされていたことに気づいたとき、 その器さえも溶けてしまうでしょう。 そんなふうに枠が外れて、拡がる感覚・・・感じてみてね。 そしてそこにはただ、愛だけがあります。 愛って言葉が恥ずかしかったら、 光でも、豊かさでも、なんでもいいよ。 自分が心地よいことを当てはめてみてね。 今日はこの辺で!ちゃお! 地球と地球に住むキミたちにラブを送り続けます♪ アルバート
by uchu-post
| 2014-05-15 10:00
| 宇宙ポスト
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