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2014年 05月 15日
気持ちのいい季節がつづいています。
アルバート。こんにちは。 以前、ある人から 「エゴは肉体に魂をとどめておくためにある」と 言われたことがあります。 前回の 『思い出すことでまた源に還って行く、 そのために忘れてきてるんじゃないかな。 源があることさえ忘れて。 還るところがはっきりとわかっていたら、 還りたくなっちゃうんじゃない?すぐに』 と、いうメッセージを読んだときに そのことを思い出しました。 エゴ-----その言葉が適切かどうかわからないけれど----- がまったくなくなると この世界にいなくてもいいと思ってしまうから すこしはあったほうがいいということでした。 だけど、エゴがおおきくなりすぎると それはそれで問題で・・・とも。 「バランスなのかな?」と思いつつ 「エゴはわるいように言われているけれど 必要があるからエゴもあるということね」と 思ったのです。 『すぐに還りたくなっちゃうんじゃない』 というのも、 そこにいけば「充たされていた」ことを 知っているから? 「ひとつである」ということをわかっているから? いまね。 ディズニー映画の 『アナと雪の女王』がヒットしているそうです。 わたしは観ていないので (まるちゃんは観たようです) 映画自体のコメントはできないのだけれど 主題歌が「ありのままで」というのです。 『ありのままの自分になるの』 『これでいいの自分を信じて』。 日本語訳がそうなっているのだけれど、 これはすごいことかもしれない・・・。 「あなたのままでいい」。 「わたしのままでいい」。 ということでしょう。 無意識かもしれないけれど、 もしかして「それでいい」ということを 思い出しはじめているのかなあ。 (ジブリの『かぐや姫の物語』のときも 「このメッセージ!」と思ったのです) 『その勇気を出す、大きなポイントが今です』 というアルバートからのメッセージが、 外からもきているのかもしれないですね。 ゆうこ 「宇宙ポスト27のお返事」 やほーーう! 満月!だねえ。 どうですかーみんなげんきかな? ここへきてからだの調子を崩しているひと、 気持ちやもろもろがぐらぐらして揺れているひと・・・。 まだいると思うけれど、 その流れから何を感じるか? が大切だからね。 からだのことを注目しつつ、 その波に飲み込まれないような目線も持ちつつ、 たのしんでね。 さて今回は「エゴ」について。 エゴというのは、何なのか? 自我といったり、思考といったり・・・。 いろんな意味合いがあるみたいだけれど。 エゴはよくないものだ! というのもエゴだし・・・。 だからといって、全くない状態になっているひとがいるか? といえば、ボクも「めったにいない」と感じているよ。 エゴが人間のからだをこの次元に繋ぎとめていて、 だから必要である、とまでは思わないけれど、 じぶんが何であるか? という認識は「思考」の力で起こっていることもあるから、 それをエゴというならそうなんだろうなと思う。 お豆腐でいえば「にがり」みたいな存在かなあ。 豆乳に投入!したら、 固まるけれど、投入しなければ豆乳のままだよね。 うふふ(笑) でもお豆腐でもなめらかなものがいいといえば、 にがりも絶妙なバランスで入れないとそうならないし、 ゆうこが言ってたバランスというのは そういう感じだとボクは思うよ。 還りたくなっちゃうというのは、 そうだね、源とひとつであるということが、 先にわかっちゃうならば、ここに居なくてもいっか! と感じてしまうひともいるんじゃないかな。 それがもともとわかってるひとで、 地球でやることがはっきりしている、 というひとも増えてきたけどね。 でもそんなにはまだいないはず。 からだを持ってきているということは、 様々なチャレンジがある訳で、 それを選んでやってきている魂であるキミたちは、 思い出していく・・・というミッションがあるんじゃないかな。 それは誰かに課せられたものではなくて、 宇宙的に自分で設定したミッションだよ。 だからわくわくするし、 やりがいもあるの。 自分で好きで決めてきた訳だから。 持ちこしてきた課題さえも、 それは試練ではなくて、 魂的にいえば、「盛り上げてくれるもの」なんじゃない? 今は全くそうは思えなくても キミたちの魂は知っていること。 エゴの話とは離れちゃったかな? 思い出すというのは考えても出来るものじゃないから、 からだを使って体感し続けるということが大切だよ。 エゴというのは、ジャッジしたり、決めつけたり、 被害者意識を持ったり・・・そういうことだと思うけれど、 それも居心地が悪くなれば、止めようと思うだろうし、 止められないとしたら、何か原因があるんだろうね。 自然な感じでいえば、 心地よくないことってたいていのひとは好きじゃないでしょう? 生まれてすぐの赤ちゃんは心地悪いとすぐ泣いたりするし、 基本的に我慢しないよね。そのまんま。 エゴって感じられないでしょう? 自分もそういう存在だったんだよ。 どう思われてるかな?とか関係なく、 泣いたり笑ったりするでしょう? それだけで愛される。 でもある程度大きくなってそれじゃ生きていけないよ! って段々いろんなふうになっていく訳だけど、 自分も生まれたときはエゴはなかったんだ、 って思えば、0のポイントに一瞬でも帰れるんじゃないかなあ。 もっと深い部分で言えば、 今だってエゴなんてないし、みんなの内側は愛だけなんだよ。 だけどエゴがあるって思うことも、それでいいし、 どっちだっていいの。 じぶんが居心地がいいか?どうか?だけ。 エゴがある!って感じた時、 すごく罪悪感があってイヤだなあって思うなら、 エゴを失くせ!という方向じゃなくて、 エゴがそもそもあるって思っていることを 疑ったほうがいいかもね。 人間の思考というのは、 瞬時にいろんなことを見えなくさせているから、 ほんとにハートに聞くといいよ。 胸とか喉とかお腹とかのかたまりとか、 内側から起こってくる印象とか感覚を感じてみてね。 映画のことは、ボクは知っているけれど、 いろんなメッセージが含まれているから、 観たひとの感じたことでいいと思う。 まるはいろんなことを感じたみたいだけどね。 「ありのままでいい」「じぶんを信じる」 というのはどちらもひとつのプロセス、通過点で、 導入の部分だから。 映画で観ることは、すごくドラマチックで、 感動的なんだろうけど、 実際にキミたちに起きることの、気づきのほとんどは、 日常的なすごく些細で地味なことかもしれない。 その積み重ねで、 日常が逆にすごく美しかったり、ドラマチックだったり、 面白いなあ!と感じられるようになるんじゃないかな。 日常のバイブレーションって本当はすごく繊細で美しいんだよね。 どんな名作の映画よりも。 だけど、きっとそれを忘れちゃったりしているから、 いろんな時代でいろんな作品が生み出されて 多くのひとの影響を与えているんだと思う。 忘れる・・・って そういう意味でも、すごいことだよね。 人間に与えられた叡智のひとつかも。 忘れることが出来るから思い出すことも出来るんだよね。 そして、そろそろ、「思い出せないと思い込んでいること」 を忘れる時代になってきていると感じるよ。 手放したときに、本当に必要なことがやってくる、 ってよく言うけれど、そういうことだと思う。 空っぽだと思っていた部分が 本当は満たされていたことに気づいたとき、 その器さえも溶けてしまうでしょう。 そんなふうに枠が外れて、拡がる感覚・・・感じてみてね。 そしてそこにはただ、愛だけがあります。 愛って言葉が恥ずかしかったら、 光でも、豊かさでも、なんでもいいよ。 自分が心地よいことを当てはめてみてね。 今日はこの辺で!ちゃお! 地球と地球に住むキミたちにラブを送り続けます♪ アルバート #
by uchu-post
| 2014-05-15 10:00
| 宇宙ポスト
2014年 04月 29日
「宇宙ポスト26」
最近、満月・新月がくるのが早い気がするのは わたしだけでしょうか? アルバート。こんにちは。 前々前回の『宇宙ポスト23』で 『それは「愛」が、 人々にとって、常に温かく、常にやさしく、常に心地よく・・・。 そういうものだと思っているからだと思うの。 愛がエネルギーだとしてとらえると、 すこしわかりやすいと思うんだけど、 エネルギーって、どういう形で作られたものであっても、 存在としてエネルギーということは変わらないでしょう? 悲しかろうが、痛かろうが、うれしがろうが、楽しかろうが、 全部一緒。』 という返事があったでしょう。 この前、そのことが「あ、このことかもしれない」と 感じる瞬間があったのです。 この前、ひさしぶりに「うーん」と思うようなことがあって、 考えた結果 「そういうことはやめてほしい」と言ったことがあったのです。 そのあとしばらくは、 なんとも言えない気持ちになっていたのですが ふと・・・こんなふうに感じるのも、言うのも、 そのものに対して何らかの思いがあるからで、 それをいままでは、ネガティブなものとして捉えていたけれど、 もしかすると、そのネガティブ(に感じている)なものも 源は愛なのかもしれない、と思ったのでした。 ただ、現象として現れているのは どう見ても「うーん」なので、 源からずいぶん離れてしまっている、というか、 変化してしまっているなあって。 この「離れてしまっている」 「変化してしまっている」は、どこからくるんだろう? それが「恐れ」からなのかもしれないなあ。 「恐れ」というと怖いことというイメージが浮ぶけれど、 もっと深いところにある「恐れ」、 気づかないくらいの「恐れ」、 しずかすぎて 一見「恐れ」に見えない「恐れ」なのかもしれない。 『からだがついていかないと 恐れがわいてくるんだよ』 ともあったでしょう。 源が愛だとしても、 からだで理解していないと どんどん離れていってしまう。 たとえば、体調がわるいという 「からだがついていかない」とき、 いつもとちがう言動をする「離れてしまう」こともあるし、 病気やケガのときもそうなる人もいる。 老い・・・もそうなのかな・・・。 この前、WSでやったことは (月に一回、いろいろなテーマでWSをしているのです。 このときは「共感コミュニケーション」) 「自分の気持ちを理解して、それに応えること」。 そうやって自分を充たすことで余裕が生まれ、 相手のことも考えられるようになる。 充たすというのは 「恐れ」を遠のかすことでもある気がします。 自分を充たす、からだを充たす。 最初は、何かがあることで 充たされていると思うかもしれないけれど、 実はすでに充たされているから、 源から離れてしまうことも本来はなくて。 でも、この前、アルバートがメッセージでくれたけれど、 練習が必要なんだと思う。 必要というか・・・ アルバートはクセと書いていたけれど。 実践という練習。 思い出すという練習。 どうして地球人は生まれてくると 自分で決めた約束をわすれてしまうんだろう? これが「制限のなかでの自由」でもあるのかな? また、おなじような話になっているけれど・・・。 必要なことは何度もテーマにしてもいいから いいよね?! いまね・・・。 まるちゃんが「天にオーダーした」ということを フェイスブックに書いていました! 「宇宙のルール」と「天にオーダー」。 アルバートさん、 このことについてコメントください。 ゆうこ 「宇宙ポスト26のお返事」 よばれて とびでて じゃじゃじゃじゃーん。 アルバートです! 春 うきうきだねえ。いろいろあるねえ。 今月からますます加速していく流れに どう 過ごしていくか みんな 準備はできたかな? 過ごすというのは どう「在るか」ということなんだけどね。 どう在るかの連続が どう過ごすかになるんだよね。 ものごとは シンプルなところから いったん 細分化して 離れて そしてまた おおもとに戻り シンプルに還って行く。 愛も そうなんだよね。 >この「離れてしまっている」 「変化してしまっている」は、どこからくるんだろう? どこからくるといえば、その「還って行く」流れの中の ひとつの出来事としてで、 やっぱりじぶんが選んでいるんじゃないかなあ。 そうなることを。 そしてそこで学ぼうとしているんじゃないかな。 >どうして地球人は生まれてくると 自分で決めた約束をわすれてしまうんだろう? これが「制限のなかでの自由」でもあるのかな? 思い出すことでまた源に還って行く、 そのために忘れてきてるんじゃないかな。 源があることさえ忘れて。 還るところがはっきりとわかっていたら、 還りたくなっちゃうんじゃない?すぐに。 キミたちはね 宇宙であり 神でもあるんだけど、 そう思っても 「えーよくわかんない」ってなるでしょ? 同じように キミたちは 細胞で出来ていますって言われたら 知っているけど 実感はないでしょ? 実感がないということは 「体験するしかない」んだよね。 からだを壊したり 病気やけがをすることで、 自分には血が通っていて、 いろんなしくみの中で生きているということを学ぶ。 恐れというのは分離してしまった感覚が抜けないから きっと湧いてくるんだろうね。 でもそれは分離じゃないの。 うーん、この言葉が近いかはわからないけれど、 「増殖」してきたってこと。 同じ宇宙から。欠けてきたんじゃなくて、 増えて満たされて飛び出してきたのが キミたちなんじゃないかなあ。 そしてまた源に還っていくときに あるポイントで ひとつになる。 ゆうこが最近体験した心地よくないことは、 源から離れてしまっているように感じているかもしれないけれど、 それもちゃんと繋がっていることなんだよ。 それがわかれば、 そういう体験はしなくていいようにきっとなるはずだよね。 満たされると、何が起きても、どんな体験をしても、 許容というよりも「これでいいんだ」という すーっとした流れの中に自分を置けるから、 その心地よくない現象も自然と流れて行ったりするんだよ。 そこで何を学ぶか?ということを、 最初は気づいたり、人や自分のせいにしまくったり、 そういう過程があるかもしれないけれど、 それさえも、流していく。 するとそういう 心地よくないことをしてくれている役の相手も じぶんたちの学びに付き合わなくてもよくなるんだよね。 そしてほんとうに満たされていけば ただそこにいるだけで、 周りのひとたちも満たされるということが 物質的なことじゃないんだなあということに 気づいちゃったりするの。 だから みんなが 神さまなんだよねえ。 日本の神々も 世界の神々も 荒くれ者に見える存在もいるでしょう? 神々のセカイはダイナミックだからね。 サポートはしてくれるけれど、 人間の都合とかそういう世界じゃないから。 人間だってそうだよね。同じ人間だっていろいろあるでしょ? 分離については またもや 言葉にするのも難しいけど、 実際は離れていると思い込んでいるだけで、離れてないの。 でも離れていると思っていたほうがチャレンジとしては面白いし、 この世界を創造していけるから、そうしているんだよ。 大きな○の中に小さな○がたくさんあって、 その小さな○がひとつになって外側の大きな○とひとつになる、 けどその大きな○も実は、外側のもっと大きな○の中の たったひとつの小さな○である。 それが無限に続くということなの。 ボクがこの世の寿命が終わってもそこで終わりじゃないよ、 ってよく言うのはこういうことなんだよね。 でもきっと途方にくれるでしょ? そんな大きいこと言われても。 シンプルに目の前のことをエンジョイしていこう! ということしかないよね・・・。 ただその小さな○も満たされちゃえば、 飛び出して大きな○になる速さも 変わってくるの。 そうすると外側の○にも影響があるから、 宇宙全体も変わってくるよね。 ということは、地球も変わるということ。 飛び出すっていうことは勇気がいるよね。。。 でもその勇気を出す、大きなポイントが今です。 あ、飛び出すっていっても、からだごとだよ。 魂で飛び出すことを決めたひとも、居たけれど、 これを読んでくれているみんなはきっと、 からだごと飛び出すことを決めてきているひとたちだと思う。 飛び出すことで何が起きるかといえば 人それぞれだけど、それは分離じゃなくて、 自分の本来の姿、 そして自分の本質で生きるってことだけなんだなあと 気づくでしょう。 複雑そうにみえることでも、 それはシンプルに還っていく 流れの中の出来事であるということに気づいて そこから卒業できるでしょう。 その向こうに何が見えるかな? わくわくするね~! >いまね・・・。 まるちゃんが「天にオーダーした」ということを フェイスブックに書いていました! 「宇宙のルール」と「天にオーダー」。 アルバートさん、 このことについてコメントください。 まるは「オーダーしたこと」自体をずっと忘れていたみたいよ。 でもその実現したセカイの中で思い出したということ。 時間の感覚のこともそうだけど、 もう過去今未来という一直線の流れじゃないということは みんなもだいたい気づいていると思うけれど、 オーダーしたというからそれが叶った、というよりも、 「実現する」ということと「願う」ということは、一緒なの。 これは実際に体験してみないと、 よくわからないと思うんだけどね。 でも、何でもそうなるか?といえば、やっぱり違うよね。 必要な流れであればそうなるっていうだけで。 このことについては、お話会で話せるといいなあ。 近いうちにまたやろうね! 薫風に乗せてラブを宇宙から。 アルバート #
by uchu-post
| 2014-04-29 10:00
| 宇宙ポスト
2014年 04月 15日
「宇宙ポスト25」
さくらが散り、葉ざくらになりました。 これからは新緑がうつくしい季節。 わたしは一年のなかで 新緑の時期がいちばんすきです。 エネルギーのこと。 まだまだ聞きたいことがあるのですが すこし整理をしてから「また」と思っています。 ふふふ。 「また」ですからね。 「また」は、つぎかもしれないです。 わたしたちは、からだがあり、 人間なので(敢えて書くことでもないですが) 人間の立場に引きつけて受けとめたいと思います。 つまり・・・。 アルバートがつたえてくれることと 自分の感覚に開きや隔たりがあったときは 「でも、そう言ってもね・・・」って。 だって、からだがあるって、いろいろあるから。 だから、アルバートは地球に生まれることを 選択したわたしたちを 「チャレンジャー」と呼ぶんですよね。 からだがあることは、 病があることでもあり、 ケガなどのアクシデントがあることでもあり、 死があることでもあり。 だれもがそういう場面に出合います。 自分自身。身近な人。 そこでつまづいたり、立ち止まったり、 気づいたり、リセットしたり・・・。 そうやって人は生きていきます。 からだがなくなっても、その人のエネルギーは残る。 わたしもそう思うけれど、 それは、そのときになってみないと どういう感じなのか実際にはわからないし、 わかったとしてもその感覚は 生きている人にはそのままつたえられないでしょう。 100年後・・・。 アルバートは宇宙意識として 存在しているかもしれないけれど いま生きている人間はだれもいない。 人間って、はかなくて・・・・ すてきだなあ。 何が言いたいかというと・・・。 だから、人間目線でいきます! です。 でね。 聞きたいこと。 これも、とても人間っぽいことです。 「宇宙のルール」「宇宙の法則」という言い方があるでしょう。 たとえば「原因と結果」も宇宙の法則だし、 何かをしたときそれが流れに沿っていたら 「宇宙が応援してくれる」という表現もある。 わたしたちができることは限られているから、 準備はできるだけやって、 あとは宇宙にまかせておく、という言い方もあります。 それで、その「宇宙のルール」というもの、 言葉や現象などについて アルバート的にはどう感じている? 一体どういうもの、こと? この質問は「エネルギー」のときと似ているなあ。 同じ・・・と言ってもいいかもしれません。 人間らしい、からだあっての質問かな・・・。 ゆうこ 「宇宙ポスト25のお返事」 どうもー。 アルバートです。 そっかー。 ゆうこも、多くのひとたちも、 「でも、そう言ってもね・・・」といって、 じぶんのからだに戻るんだねえ。 言葉で伝えるのは大変だ。面白いけど大変だね。 難しいけど、いいね~。はあ、わくわくするなあ。 急に本題。 「宇宙の法則」「宇宙のルール」のほとんどは、 人間たちが経験して認識できたものについて言われてるよね。 誰かが感じて、受け取ったこと。 今までに地球にはなかった発想。 今まで地球で信じられてきたこととは違うこと。 誰も試したことがなかったこと。 そんな事柄を、だんだんと人々が実感して、 こういうものが宇宙の法則だろうと伝えてきたことだよね。 ボクも「宇宙の法則だからね。」 って言うことがあるけれど、 みんなの共通認識で上がってきているタイプのことは、 そうお伝えしているだけのこと。 「でも、そう言ってもね」 とキミたちが、からだ(という自分の制限)に戻るのは、 そうやってプラクティスする癖があるからだろうね。 すこし理解して、また戻って、からだを通して実感して、 またすこし理解して、また戻って・・・と。 地球のみんなは、すごくまじめなんだなあ。 愛しいなあ。 宇宙の法則がどんなふうであれ、 キミたちは「実感」がないと大きく動けない(と思っている) そこから出られないという制限があるの。 それが「からだ」問題。 だとボクは捉えているよ。 アルバートはいいよね、からだがないから、自由で!!! って思うかもしれないけど、 キミたちが制限がない自由というものがどんなものか? ということがわからないように、 ボクもキミたちの制限がある自由については 本当にはわからないのかもしれない。 でも、制限があるからこその、自由について、 キミたちは考えたことがあるかなあ? 制限があるからこそ、自由になりたい! って思うんじゃないかなあ。 そして様々な体験がしたい!って思うんじゃないかなあ。 それが「地球に生まれて生きる」と決めた キミたち魂の声なんじゃないかなあ。 ボクは今まで、いろんなひとたちに、 メッセージを伝えてきたけど、 そろそろ、キミたちの魂からの声を 自主的に聞かせてもらいたいなあ。 あとね、宇宙の法則が働いた後に起きる「現象」 については、別に大したことないから。 どんなふうにすごいことが引き寄せられたとしてもね。 どんなラッキー!と思えることが起きたとしてもね。 だって、それが「宇宙の法則」だからね。 あっさりしたもんです。 感謝して前に進む。 その連続だよね。 キミたちは現実を生きている訳だから。 そこで終わりではないからね。 ハッピーエンドは何回でも訪れます。 ハッピーエンドはハッピーオープンでもあるんだよ。 (何をハッピーとするか?も自分次第だけどね。) もし、そういうときに、 受け止めきれずに疑ってしまったり、 怖くなってしまったりすることがあるとしたら、 受け止められる「からだ」に なってないからかもしれないね。 深い意識では、もう宇宙の法則を理解しているのに、 からだがついていかないと、恐れが湧いてくるんだよ。 「こんなことが起きるはずがない!」 と思ってしまったり、 自分の都合の良いように解釈してしまったりする。 だとしたら、もったいないよねー。 宇宙の法則は、 それがどういう方法なのか? どんな言葉で説明されるのか? 誰が伝えている方法なのか? そんなことを全く知らないひとでも、 日常的に使っているひともいます。 そういうひとは、それが普通のことと思えるから、 すんなりと、もたらされたものを 受け取れるんだよね。そしてそれを還元し活かせる。 でもそれは、みんなにも出来ることなんだよね。 前回も言ったように「愛を拡大させる」 どんどん外側に流していく、それと同じ。 そのからだという制限があるセカイで 自由になるってことは、 めちゃくちゃすごいことなんだよ!!! それがキミたちのチャレンジです。 それは逃避じゃないよ。より現実に生きるってことだよ。 からだ以外でも、キミたちは、 自分自身で「こんなこと出来るはずがない」 ということをたくさん考えているよね? その多くはやったことのないことに対して。 そうは言ってもね・・・。 って言ってもいいから、 なるべくチャレンジしてみてください。 キミたちは体感がないと、納得できないんだな、 ということを自分でも気づいたほうがいいよ。 愛を外側に流し続けるということも、 どうやったらいいかわかんないよ、と思っても、 自分なりに考えて、思いついたことをやってみるといいよ。 毎日、ゴミ拾いすることだな!と思えば、 それでもいいだろうし、 大切なひとに愛してるよ!って言うのもいいだろうし、 家族や仲間たちに感謝のエネルギーを送るのもいいだろうし。 なんでもいいんです。 そんなの違うよ!と誰かが言っても、 愛を外側に流し続けるという意図さえ持ち続ければいいの。 意図して、そして、実行すること。 法則はあくまで法則。 それを活かすも活かさないも、キミたち次第だよ。 うまくいかないというひとは、 からだにもっとフォーカスしてみて。 今日のキミのからだは何てキミに伝えてますか? 肌のかんじ、顔、喉、胸、腰、背中、内臓、足・・・。 いろんな自分の感覚はどうですか? 疲れてる?それはどんなふうに?頭?からだ?こころ?全部? ひとつずついたわりの声をかけて、 愛してるよ、って伝えてください。 自分に制限がかかるとしたら、 その制限のひとつである、からだが発しているサインに、 まず気づいてあげることだよ。 そこに鍵があります。 あとね、なんで、宇宙の法則があるかといえば、 ボクらとキミたちを繋ぐひとつのツールでもあるかもしれないね。 ボクらが見えないけれど存在していることを、 キミたちのセカイで感じてもらうための。 だけど、法則に囚われすぎて、 そのルールで自分を縛り付けないでね。 何でもそうだけれど、ぱっと見、よさそうなもの、 たくさんのひとがわーっと飛びつくもの。 そういうものは、その法則に使われちゃうこともあるかもしれないね。 だとしても、それも、何らかの意味のあることだから、 良い悪いじゃないんだけれどね。 誰がが意図した地球の波動を上げるという ひとつの目的のためかもしれないし。。。 だけど、ボクは、キミたち、ひとりひとりが、 本来のじぶんに目覚めて、エンジョイすることで、 進化していくことを望んでいます。 地球よりも、キミたち地球人という仲間に向けてコミットしているの。 もちろん地球も大切だし、愛してるよ。 地球人も宇宙の仲間だからね。 だからボクはまると一緒に活動しているんだよ。 毎度言ってる気がするけど、 今月もかなりパワフルな月です。 お腹にぐっと力を入れつつ、全身はゆるゆるに過ごしてね! もういろんなことに抵抗しないで、 すいっとかわしつつ、 必要なものはぱっと受け取って、流して、循環! そういうふうにできるといいよね!! これ読んでくれてるみんなは、 これを読んじゃってるということがどういうことなのか気づいて、 実践、がんばってくださーい! 制限がある中での自由はきっと超きもちいいんだろうなあ。 ボクは制限がない不自由をこれからもエンジョイしまーす。 今日は以上だよ~。 宇宙から暑苦しいほどのらぶをてんこもりで☆ アルバート #
by uchu-post
| 2014-04-15 10:00
| 宇宙ポスト
2014年 03月 31日
「エネルギーのこと。 もうすこし聞きたいです」。 -------------この書きだしは、 すこし前に書いたものです。 アルバートへ聞きたいことがあって いろいろ書いていたのだけれど 途中で「そうか!」と、思ったことがあり、 書いていたことを消しました。 でも、しばらくしたら 必要なものもある気がしてきたので リライトすることにしました。 今回は長いです。笑 ・・・・・・・ 前回、アルバートは 『愛がエネルギーだとしてとらえると、 すこしわかりやすいと思うんだけど、 エネルギーって、どういう形で作られたものであっても、 存在としてエネルギーということは変わらないでしょう? 悲しかろうが、痛かろうが、 うれしがろうが、楽しかろうが、全部一緒』 と、教えてくれたでしょう。 エネルギー自体には変わらないけれど、 量は、そのときそのときでちがうでしょう? 大きいエネルギーとちいさいエネルギー。 強いエネルギーと弱いエネルギー。 エネルギーは愛。愛はエネルギー。 愛はフリーエネルギーだけれど エネルギーの量はちがう・・・というとらえ方は アルバートのなかではどうなっているの? わたしは、エネルギーの量、質にも関心があって。 たとえば、波動を上げる・・・という言葉があるように エネルギーを上げる方法があり、 そういうことが言われるということは、 下げる方法もあるし、 高い、低いという認識もある。 哀しいというエネルギーと うれしいというエネルギーは、 エネルギーという枠のなかではいっしょだけれど、 その質がちがうと思うのです。 「水」でも、 水道水とわき水はちがうし 日本の水とヨーロッパの水がちがうように。 いい、わるいではなく、 水は水、でも、味はちがう。 味のちがう水でいれたお茶の味も変わる、 というようなことです。 質のちがいは・・・粒子の細かさのちがい? つまり、波動(エネルギー)。 あっ、話が元にもどってしまった。笑 アルバートの言う「愛」にちかいエネルギー。 『ボクが言ってる「愛」っていうことは、 ほんとうには言葉に出来ないもので、 地球上でみんなが認識しているものを示す言葉の中で、 もっとも近いのが「愛」だっていうことね。 (キミたちの認識が変わっていくと、 愛そのものに近づいてくるんだろうね。)』 それも、粒子の、源のことなのかな? って。 アルバートが以前、コンタクトをとるとき 「粒子を粗くする」(摩擦を起こす)と言っていたけれど、 それは、アルバートのエネルギーを落とすと「イコール」の行為で、 でも、愛は枯渇しないから アルバートはエネルギーを低くしても つかれない(元々からだはないけれど)のかな? その関係は? そもそも関係があるのか、ないのか・・・。 エネルギー(波動)のことをある程度、知ることができ、 愛が枯渇しないことをからだに落としこめたら、 世界はずいぶん明るくなる気がするなあ。 そんなことを思っていたら また、テレビでおもしろい番組に出合いました。 http://www.nhk.or.jp/special/detail/2013/0921/ 例によって、途中から見たので(たまたま目にするのです) 理解していないところが多々あるのですが、 最新の物理の世界では、 「この世界(宇宙)は10次元まである、と認識されている」と。 この前のヒッグス粒子といっしょで 目に見えないから それを証明しなければならなくて、 その研究をしている・・・と言っていました。 また、「神の数式」と呼ばれるものがあり、 「自然現象は、最終的にはひとつの数式で説明できる(はず)」 として、学者が臨んでいる・・・とも。 数式そのもののことは理解できないのだけれど、 数式で説明できる、というのは、 わかる気がするのです。 でも、ここでは数式は置いておいて(笑) 次元の話ね。 そのときのたとえがおもしろくて。 綱わたりしている人がいて その人は、前か後ろにしか行けないのです。 これがあるひとつの次元。 だけど、その綱にちいさなてんとう虫がいて てんとう虫はちいさいから 前後左右天地と全方向に動ける。 これが次元のちがい、と説明していました。 なんてわかりやすい! それで、そのてんとう虫のちいささが 粒子の細かさと同じことだな、 と、わたしは思ったんです。 おなじ次元にいても 粒子のサイズはいろいろあり、 その粒子によって見える世界、感じる世界 存在する世界がちがう。 さらには、ちがう次元のことも感じることができる。 そんなことなのかなあ? と。 自分のエネルギーがあがると 感じる世界の幅が広がるような感覚があるんです。 場合によってはちがう世界が 見える人もいるのかもしれません。 なんだか・・・・話が終わらなくなりそうなので そろそろ、無理矢理まとめにはいります。 エネルギーは枯渇しないという前提があって ・エネルギーの量はそれぞれある ・エネルギーの質についてもいろいろある ・エネルギーの質は粒子のサイズによって変わる さらに聞きたいことがあって それは、繊細な粒子は、 大きな(細かくない)粒子に弱いのか? ということ。 それは、よく言われることなのだけれど。 愛というエネルギーが枯渇しないならば エネルギーの低下をおそれることはないでしょう? 一旦は、波動は低くなるかもしれないけれど、 また、復活するのだから。 だけど、エネルギーを落とさないようにすることが 大事だと言われていて (わたしもそう思っているところがあります)、 ただ、ある面では ほんとうに一部の枯渇しない人たちもいて その人たちは、愛が湧きでるようにあるから、 エネルギーの低下、波動の高い低いなんて 気にしないで生きている、とも思うんです。 もうどんどん渡してしまうんです。 「エネルギーが」「波動が」 「高い、低い」と言っている時点で、 恐れがある・・・という感じなのかなあ。 ただ、ここは、からだがある、 寿命がある、というところと 関係しているのかもしれません。 あっ、話が前回にもどってしまった。笑 無理矢理まとめに、と書いたけれど まとまっていない。 まるちゃん、ごめんなさい。 アルバートにうまくつたえてください。 よろしくお願いします。 ゆうこ そうそう。 最近、ふと思ったのは、 「月を見あげたとき 東で見るのと、西で見るのはちがうように見えるかもしれないし、 天気によっても、時期によっても見え方はちがうけれど、 でも、空にうかんでいる月はひとつ・・・」ということ。 「宇宙ポスト24のお返事」 さくら~さくら~やよいのそーらぁは~ どうもー アルバートです。 今回もエネルギーについてということで、 ゆうこはこの話題が今テーマなんだろうね。 まず「量」と「質」に興味があるって、 きわめて人間らしいなあって思う。 ごめん、みんな、お忘れかもしれないけど、 ボク、宇宙人、または宇宙存在だからね。 (近所の気のいいおやっさんとか、 イケメン青年に見えたりすることもあるみたいだけど。) だから本質にせまろうとすればするほどに、 キミたちとの開きが出てきちゃうんだよなあ。 そしてこの開きというのは、 まる自身のキャパシティでもあるから、 彼女も頑張りどころだね。 みんな応援してあげてね!(笑) どんどんいい意味でゆうこがせめてきているから、 ボクらもどんどんグイグイ行きたいなあ。 じゃあ、きょうもいってみよーう! ボクが「人間らしいね」というのは、 やっぱり「からだ」があるからなんだよね、 そのゆうこが言ってる発想、もしくは、一般で考えられていることって。 そりゃそうだよね、みんな、だいたい、からだがあるからね。 だから、からだを持つみんなにとっての、 「エネルギーのおはなし」しか今は出来ないから。 ボクがみんなを観察して感じていることね。 それ以上は言葉に出来ない分野だからね。 だから厳密にいうと、ボク自体がどう感じているかは、 体感してもらえないと伝わらないから、 言葉でお伝えするのは無理です。 あ、からだがないボク側の体感ということも、 ややこしい話になっちゃうね。それに近い体感ってことね。 そのうえで、お話できることを書いてみるよ。 まずね、人間にとって、エネルギーというのは、 そのからだを通してのことすべてだとボクは感じているよ。 エネルギーを感じれるのは、 そのからだを通してだからね。 宇宙エネルギーも地球に存在しているエネルギーもね。 質の違いというのは、そういう人間のからだを通して感じることや、 その使い道や、都合によって、 「そう判断されているエネルギー」の違いなんじゃないかな。 人間にとって、動物たちにとって、おいしい水。 おいしい水は都会では珍しいから買うとそれなりにお金がかかる。 湧水が豊富にある地域ではタダで飲めるのにね。 粒子の細かさの違い、という考え方も、 ひとつの側面からいえばそうだけれど、 だからといって、粒子が細かいからいいかといえば、 そうでもないんだよね。 なんでもそうだけど、時と場合による。 愛もただ愛だけど、時と場合によって、いろんな状態になるでしょう? あたたかさや、つめたさや、厳しさ・・・。生まれる生きる死ぬ・・・。 その全部が愛ってことは、今まで伝えてきたけどね。 人間側のとらえ方。 からだを通しての。その存在を通しての。 立場が違ったら捉え方も違うし、感じ方も違う。 人間にとっては毒になっちゃうものでも、 ほかの生き物や植物にとっては、必要な栄養素であったり、 そういうことってあるでしょう? それは質とかじゃなくて、からだを通してのバランスの問題だよね。 人間は自分で生きるバランスを他のものに 明け渡してしまってきたから、そのバランスを取り戻すことに 時間がかかっているんだよね。 波動が高い低いは確かにあるよ。 でも、あるってだけで、どうもこうもない。 高くても使いこなせなかったり、見えなかったり、 低くても、へっちゃらだったり、 それをエネルギーに変えて有効に平和的に使えたりもする。 すべては変化させることができるの。 変化、変容しつづけることが、宇宙だからね。 みんなもその宇宙の一部なのだから、恐れることはないんだよ。 『エネルギー(波動)のことをある程度、知ることができ、 愛が枯渇しないことをからだに落としこめたら、 世界はずいぶん明るくなる気がするなあ。』 それは個人個人が、 ひとりずつ、やっていくしかないよね。 誰かに明け渡さないでね。 国とか特定の研究機関とか、 どこかの偉いひとや賢いひとがやることじゃないんだよ。 みんながやることなの。 みんなの共通意識が愛に向いて行ったとき、 代表でもっと広く友好的に有効的にでもあるんだけど 広めようというひとも出てくるはず。 でもそれでも、みんな変化し続けることを恐れないでね。 そこで終わりじゃない、どんどん続いていく流れ。 ハートで生きるってよく言うでしょ? それは心を開くことでもあるけど、 拡げるってことなの。自分の全てを。 エネルギーを拡げる。 拡げたらどうなっちゃうの?? って怖いひともいるでしょう。 何か自分の内側が変わってしまうんじゃないか? と恐れも出てくるでしょう。 それでも拡げ続けるの。 恐れはいろんな愛をくるんで見えなくさせてしまうから、 ひととき、何か、不都合なことが起きてきたり、 拡げることを止めさせようとすることが起きたりするでしょう。 でも、いっぱいいっぱいに手を拡げても 届かなかった、まだ見ぬ、仲間たちに その拡げたエネルギーがそのうち届くはずだから、 そうしたら、お互いに、ひとりではないということがわかるでしょう。 名前も顔も知らない同士でもそのつながりを感じられるでしょう。 いずれ会えたり会えなかったりもするだろうけど、そんなことは関係なく。 愛はそうやって広がっていきます。 いろんなものを超えて。 これはイメージの世界ではないよ。 多くのエネルギーがそのままでは見えないし感じられないのと一緒で、 今は見えないし体感出来てないひとが多いというだけ。 からだを大切にしてね、ってボクがいうのは、 そうやって、エネルギーを拡げるだけではなく、 今ここにいる「自分」がしっかりとそのからだを持って 自分を活かしてほしいなあと感じるからだよ。 枯渇するってことを考えるということは、 愛がフリーだよってことを感じられてないからなんだよねえ。 『愛というエネルギーが枯渇しないならば エネルギーの低下をおそれることはないでしょう? 一旦は、波動は低くなるかもしれないけれど、 また、復活するのだから。 だけど、エネルギーを落とさないようにすることが 大事だと言われていて (わたしもそう思っているところがあります)、 ただ、ある面では ほんとうに一部の枯渇しない人たちもいて その人たちは、愛が湧きでるようにあるから、 エネルギーの低下、波動の高い低いなんて 気にしないで生きている、とも思うんです。 もうどんどん渡してしまうんです。』 エネルギーの低下というのは、 たとえばスピードがひととき速くなったり遅くなるようなもので、 それも大きい視点からいえば、ひとつのバランスなの。 人間の心臓だって機械みたいに規則的ではないでしょう? エネルギーも生きているんだから。 気にしないで生きているひとが、 どんどん渡してしまうということは、 さっきボクが言った「拡げる」ことを常にしているひとたちだと思う。 低い波動のところに行くと疲れるということは、 よく聞くし、そういうこともあるだろうと思う。 でも、何で疲れるかというと、ただその低い波動のせいにしがちだけど、 自分自身のバイブレーションに同じものがあるからなんじゃないかなあ。 だからそこに同調しちゃって疲れる。 それがイヤだったら、自分の内側から変えることが大切だよね。 どうすればいいのか?は自分で感じてみてください。 すぐに人に聞かないほうがいいときもあるよ。 愛が泉のように湧き出ているような人も、 100パーセント愛か?って言ったら違う人もいるだろうね。 だけどどうやったら、自分が、きもちよくいられて、相手もそうなのか?とか、 そういう当然のことが出来ているひとなんじゃないかな。 ああ、でも、人間は本来、100パーセント愛だよ。 違うっていうのは、そのことを本当には思い出せてないってことね。 どうしても、疲れちゃったり、何か自分のエネルギーを奪われる気がする! というひとは、ひとまず、愛をどんどん流してみて。外側に。 それは「いいひと」「やさしいひと」になるということじゃなくて、 「つよいひと」になるってことだよ。 考えようとしても、こういうことはそれでは出来ないから、 自分がやれると思うことでやってみてね。 ゆうこもほんとうはわかっているよね。 月の見え方のことからのメッセージが全くその通りです。 ボクが言ったエネルギーのとらえ方についてと一緒だよね。 あとは体感なんだろうけど、 お便りではうまく伝えられない! また今度デートしようね☆ 今日は以上だよ~。 宇宙からLOVEを花吹雪に乗せて。 アルバート 人間の寿命についても、ゆうこが書いていたけれど、 もしからだが無くなってしまってからも、そのひとのエネルギーは残ります。 それが変化し続けるということ。そこで終わりではないの。 そのことについては、また今度ね。 #
by uchu-post
| 2014-03-31 10:00
| 宇宙ポスト
2014年 03月 17日
アルバート。こんにちは。
春の花のかおりが流れてくるようになりました。 所によってはさくらも咲きはじめたようです。 この辺りは、もうすこし・・・。 さくらが咲くと 町がさくら色にかがやき、 いつもよりみんなしあわせそうに見えます。 女性性と男性性について・・・ですね。 でも、その前にエネルギーについて もうすこし聞きたいことがあるので書きますね。 「愛はフリーエネルギー」。 アルバートは、ずっとそう言っているでしょう。 わたしも「そうだなあ」と思います。 世界には、あふれる愛を持った人がいて、 その人の愛で、たくさんの人が愛を知ります。 その一方で・・・。 わたしのことで言うと ときどき、フリーエネルギーと言われるエネルギーのことで つかれてしまうときがあるのです。 たとえば、ある人と会うと ぐったりしたり、かなしくなったりする・・・ようなこと。 それは、人ではなくて、 できごとや場所のときもあるのだけれど。 その感覚は、 エネルギーを取られてしまうという感じかなあ。 会ったあと、訪れたあと からだが重くなってしまったり、 いつも以上につかれたり、 気持ちが重くなってしまう。 感情が引っぱられるときもあれば おなかがすいてすいて仕方がないということも。笑 愛というエネルギーは枯渇することなく あふれてくるもの。 だけど、現実には、 わたしはエネルギーがなくなって 「もう歩けません」という(比喩です)ことがあるんです。 そういうことがつづくと 会う人を限定したり、 行く場所を判断したりして 調整しているけれど、 これはどうして起こるんだう? って。 「ぐったりする」や「かなしい」は、 自分で感じて、そういう「言葉」を当てはめることで 「そうだ」「そうにちがいない」と 思いこんでいるのかもしれません。 からだが、そういう反応をするのも ラベリングのようなことをしていて (無意識や経験からくるジャッジや 思いこみによる想像、期待との落差など) からだが反応して起こっていることなのかも。 だけど、そうなるのよねえ・・・。 エネルギーの理想は、 おなじように循環することだと思っていて、 「共鳴」というのかな? けれど、水のように高いところから低いところへ流れることも あるんじゃないかなあ。 高い、低い、というのはごくごく個人的な感覚です。 考えられるのは、 このエネルギーが 「愛」ではなく「パワー」なのかな? ということ。 無意識のうちに パワーゲームのようになっているから ぐったりしてしまうのかな? または、わたし自身が ほんとうのところで「愛がフリーエネルギー」ということを 信じられていないのかなあ? とも。 この前、アルバートが たくさんいい言葉を送ってくれたのだけれど、 「何ものからも影響を受けない」ということへの理解と たまに、そういうことがあり 「あれ???」となってしまう。 わたしは、いまそのあいだを行ったり来たりしているようです。 「愛はフリーエネルギー。例外なし」と、 決めればいいのかも・・・ね。 さて。 女性性と男性性について・・・ですね。 基本的には、性別というより 個人的なことで捉えているかなあ。 それでも集団になればなるほど、 女性性、男性性というのが際立ってきて。 集合意識になると、はっきりしてくるもの、と認識中です。 イメージとしては・・・。 女性性は 「まるく やわらかく 変化しやすい」。 男性は 「かたく 強く 変化しづらい」。 けれど、それもどんどん変わってきている感じがあります。 差がなくなっている。 女性である前に「その人」でいいと思うし 男性もおなじ。 どちらにも属さない感覚や どちらでもある・・・のも 「その人でいい」ということだと思っています。 ただ、人には、からだがあり、時間という制限があるので 自分のなかにある「性」は大事にできるならしたほうがいい。 できなくても、自分を大切にすれば 「性」を越えて、愛おしく思えるんじゃないかな。 アルバートは「アルバート」と呼んでいるけれど 意識体だから、 男性ではないということをまるちゃんから聞いています。 でも、最初に名前を聞いたとき オーランド・ブルームのイメージがきたので そのつもりでやりとりしています。笑 オーランド・ブルーム・・・。 『指輪物語』のなかの髪の毛の長いとき。笑 アルバートがわたしに質問したということは なにかつたえたいことがあるのだと思うので 聞かせてください。 では、また。 ゆうこ 「宇宙ポスト23のお返事」 やっほう!アルバートだよ。 春だねえ、春はいろんなはじまりと、さよならの季節でもあるね。 季節はめぐってめぐりつづける。人間も同じ。 そこには大きな愛の流れがあるだけです。 ゆうこが書いてくれたエネルギーについてのことを お返事するね。 『愛というエネルギーは枯渇することなく あふれてくるもの。 だけど、現実には、 わたしはエネルギーがなくなって 「もう歩けません」という(比喩です)ことがあるんです。』 誰かや何かの出来事をきっかけとして、 疲れちゃうというのはよく起きる現象だね。 ボクが言ってる「愛」っていうことは、 ほんとうには言葉に出来ないもので、 地球上でみんなが認識しているものを示す言葉の中で、 もっとも近いのが「愛」だっていうことね。 (キミたちの認識が変わっていくと、 愛そのものに近づいてくるんだろうね。) そして愛はどういう形にもなるってこと。 だから「もう歩けません」という、 ゆうこの状態も愛なんだよ。 そこを知らないと「愛」が止まって、減っちゃった・・・ という思い込みになるの。 人間側としては不都合なこと、痛いこと、悲しいこと、 それも愛なの。こういうふうに言うと、 すごく冷たい感じがすると思うし、 人によっては怒りもわいてくるとおもう。 それは「愛」が、人々にとって、常に温かく、 常にやさしく、常に心地よく・・・。 そういうものだと思っているからだと思うの。 愛がエネルギーだとしてとらえると、 すこしわかりやすいと思うんだけど、 エネルギーって、どういう形で作られたものであっても、 存在としてエネルギーということは変わらないでしょう? 自然エネルギーと原子力、 どちらがいいかとかわるいとかではなく、 エネルギーとしてはただのエネルギーでしょう? それが大きいか小さいか、役に立つか、 そういう都合とは関係なく、エネルギーはエネルギー。 電気を作ったり、火を作ったり、 何かを動かしたり出来るのは同じ。 愛もそういうもの。 悲しかろうが、痛かろうが、うれしがろうが、楽しかろうが、 全部一緒。 すごくすごく、これはたいせつなことだから、 納得できなくても、 こころの片隅にでもしまっておいてほしい。 きっといつか役に立つから。 でも、やっぱり、心地よいところにみんな居たいだろうし、 誰だって痛かったり怖い想いをしたくないよね。 疲れたりもしたくないだろうと思う。 誰かに会ったり、何かをしたときに、 疲れちゃうってことは、どういうことかというと、 共鳴するところ、フォーカスしているところが、違うんだと思うよ。 そのひとの苦しみ、悲しみ、 ネガティブなバイブレーションに反応しているんだと思う。 そしてこの国も地球も そういうバイブレーションはどこにでもあるから、 言い方を変えれば いつだってその影響を受けようとすれば受けてしまう。 もっと大きな視点で共鳴するといいんだよ。 あと判断をしながら 何かと向き合おうとすると疲れる原因にもなるよね。 このひとは、こうだから、こうなんだ・・・。 そういうことで自分を納得させようとしたりね。 大きな河の流れの一部だからね、そういうところは。 中州があったり、岩があったりすれば、 そこに引っかかることもあるしね。 そのくらいのことなんじゃないかなあ。 でもなんだって常に動いて流れている、 何の中にだって愛はあると感じられれば、 そこに共鳴できるでしょう? 流して流していくしかないだろうね。どんなことも。 味わって体験して流していく。 いろんなことを、そのカラダを通して経験できる キミたち人間がフリーエネルギーを発生してるって、 こういうことなんだよ。 だって、キミたちが「愛」そのものだからね。 いいわるいはないけれど、 何かが違うとしたら、「その流れを止めてしまうこと」 がほんとうの愛ではないんだと思う。 それは生きている時も、 この世界を離れてからもずっと続く流れなの。 誰かと何かと向き合ったとき、その流れを止めないでみてね。 そういう意識でいると、大きな視点というものが、 キミたちの中にきっと芽生えてくるはずだよ。 さて、女性性と男性性について。 どんなひとの中にも両方存在することだと思うの。 女だから、男だから、ということで、 社会的にいろんな制限もまだまだあるようだけれど、 人間が進化していくには、この部分は外せないことだから、 みんなはどうとらえてるのかなあ?と思ったんだよね。 ゆうこはもちろんのこと、 前回の宇宙ポスト22でボクが投げかけたこの質問について、 きっとたくさんのひとが 「自分にとって女性性って、男性性ってなんだっけなあ?」 と一瞬でも考えてくれたと思う。 そしてボクからの答えも期待してくれているはずなんだけど、 とくにこれといったメッセージはないの(笑) というと、えーーーっ?!という、声が聞こえてきそうなので、 ちょっと書いておくね。 最初のほうのエネルギーと愛についての部分でも書いたように 大きな視点でみると、男も女も一緒なんだよね。 肉体的、精神的な違いがあるというのも、男女関係なく、 人間ぞれぞれ違うでしょ、みんな。 細かく細かくしていくと、みんな一緒でみんな違う。 どんなものだって、そうだよね。 だけどそれでは、まとまりがつかないし、対象になるもので、 バランスを取りたくなるのがこの世界の現れなんだろうね。 それを今までは外側の世界でしてきたことだし、 外側の世界任せにしてきたことだけれど、 もう、それはひとりひとり向き合って、 内側でやっていってくださいということ。 ボクは初心者向きでは、 黒い服とかパンツより、ピンクとかいいよーとか、 女の子にアドバイスをすることもあるけれど、 ほんとうはそういうことはどうでもいいんだよね。 それが有効なこともあるってだけでね。 みんな好きにすればいいの。 でも、その好きにすればいい、の 意味がよくわかってないひとも多いよね。 きっと本当には好きにしたことがあまりないからね。 自分の中にどんなひとも、男性性も女性性もあって、 常にそのふたつが 戦っている状態のことも多いんじゃないかな。 こうあるべき、こうしたほうがいい、 負けたくない、勝ちたい・・・。 受け入れたい、やさしくしたい、解放したい、 逃げたくない、逃げたい・・・。 欲しい、欲しくない、許したい、許せない・・・。 男も女も関係なく、 こういった気持ちはずーっと続いているだろうね。 それが人間といえばそうなんだけど、 でも、ほんとうにそうなのかな? 花びらをむしって占うように、好き、嫌い、好き・・・。 ってずーっとしているような感じだよね。 欲しい答えが見つかるまで、ずっと花びらをむしり続ける。 その花が自分自身だとしたら、 それをいつまでも続けたいとは思わないんじゃないかな。 もうそこに咲いているだけでいいの、 どんな矛盾を抱えていたっていいの。 やさしく「そのままでいいんだよ」という訳じゃないよ。 そういう時期はもうとっくに終わりました。 風に吹かれても雨に打たれても、 そのままそこに咲くということを決めるということは、 人によっては厳しく感じることでもあるからね。 だけどね、そのことによって、 今まで無理だと思っていたことが叶ったりするの。 花だけ咲かせている訳ではなく、実がなるようにね。 男も女も関係なく、 この世に花を咲かせましょう。 そして自分の実がなんなのか見届けて味わって、 更に種をまいて行ってください。 ゆうこがすてきなことを書いてくれたね。 『女性である前に「その人」でいいと思うし 男性もおなじ。 どちらにも属さない感覚や どちらでもある・・・のも 「その人でいい」ということだと思っています。 ただ、人には、からだがあり、時間という制限があるので 自分のなかにある「性」は大事にできるならしたほうがいい。 できなくても、自分を大切にすれば 「性」を越えて、愛おしく思えるんじゃないかな。』 ここにもまた、種がまかれた感じがするね。 ありがとう。 宇宙からラブシャワーと共に。 愛してるよー!!! アルバート #
by uchu-post
| 2014-03-17 10:00
| 宇宙ポスト
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