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2014年 03月 31日
「エネルギーのこと。 もうすこし聞きたいです」。 -------------この書きだしは、 すこし前に書いたものです。 アルバートへ聞きたいことがあって いろいろ書いていたのだけれど 途中で「そうか!」と、思ったことがあり、 書いていたことを消しました。 でも、しばらくしたら 必要なものもある気がしてきたので リライトすることにしました。 今回は長いです。笑 ・・・・・・・ 前回、アルバートは 『愛がエネルギーだとしてとらえると、 すこしわかりやすいと思うんだけど、 エネルギーって、どういう形で作られたものであっても、 存在としてエネルギーということは変わらないでしょう? 悲しかろうが、痛かろうが、 うれしがろうが、楽しかろうが、全部一緒』 と、教えてくれたでしょう。 エネルギー自体には変わらないけれど、 量は、そのときそのときでちがうでしょう? 大きいエネルギーとちいさいエネルギー。 強いエネルギーと弱いエネルギー。 エネルギーは愛。愛はエネルギー。 愛はフリーエネルギーだけれど エネルギーの量はちがう・・・というとらえ方は アルバートのなかではどうなっているの? わたしは、エネルギーの量、質にも関心があって。 たとえば、波動を上げる・・・という言葉があるように エネルギーを上げる方法があり、 そういうことが言われるということは、 下げる方法もあるし、 高い、低いという認識もある。 哀しいというエネルギーと うれしいというエネルギーは、 エネルギーという枠のなかではいっしょだけれど、 その質がちがうと思うのです。 「水」でも、 水道水とわき水はちがうし 日本の水とヨーロッパの水がちがうように。 いい、わるいではなく、 水は水、でも、味はちがう。 味のちがう水でいれたお茶の味も変わる、 というようなことです。 質のちがいは・・・粒子の細かさのちがい? つまり、波動(エネルギー)。 あっ、話が元にもどってしまった。笑 アルバートの言う「愛」にちかいエネルギー。 『ボクが言ってる「愛」っていうことは、 ほんとうには言葉に出来ないもので、 地球上でみんなが認識しているものを示す言葉の中で、 もっとも近いのが「愛」だっていうことね。 (キミたちの認識が変わっていくと、 愛そのものに近づいてくるんだろうね。)』 それも、粒子の、源のことなのかな? って。 アルバートが以前、コンタクトをとるとき 「粒子を粗くする」(摩擦を起こす)と言っていたけれど、 それは、アルバートのエネルギーを落とすと「イコール」の行為で、 でも、愛は枯渇しないから アルバートはエネルギーを低くしても つかれない(元々からだはないけれど)のかな? その関係は? そもそも関係があるのか、ないのか・・・。 エネルギー(波動)のことをある程度、知ることができ、 愛が枯渇しないことをからだに落としこめたら、 世界はずいぶん明るくなる気がするなあ。 そんなことを思っていたら また、テレビでおもしろい番組に出合いました。 http://www.nhk.or.jp/special/detail/2013/0921/ 例によって、途中から見たので(たまたま目にするのです) 理解していないところが多々あるのですが、 最新の物理の世界では、 「この世界(宇宙)は10次元まである、と認識されている」と。 この前のヒッグス粒子といっしょで 目に見えないから それを証明しなければならなくて、 その研究をしている・・・と言っていました。 また、「神の数式」と呼ばれるものがあり、 「自然現象は、最終的にはひとつの数式で説明できる(はず)」 として、学者が臨んでいる・・・とも。 数式そのもののことは理解できないのだけれど、 数式で説明できる、というのは、 わかる気がするのです。 でも、ここでは数式は置いておいて(笑) 次元の話ね。 そのときのたとえがおもしろくて。 綱わたりしている人がいて その人は、前か後ろにしか行けないのです。 これがあるひとつの次元。 だけど、その綱にちいさなてんとう虫がいて てんとう虫はちいさいから 前後左右天地と全方向に動ける。 これが次元のちがい、と説明していました。 なんてわかりやすい! それで、そのてんとう虫のちいささが 粒子の細かさと同じことだな、 と、わたしは思ったんです。 おなじ次元にいても 粒子のサイズはいろいろあり、 その粒子によって見える世界、感じる世界 存在する世界がちがう。 さらには、ちがう次元のことも感じることができる。 そんなことなのかなあ? と。 自分のエネルギーがあがると 感じる世界の幅が広がるような感覚があるんです。 場合によってはちがう世界が 見える人もいるのかもしれません。 なんだか・・・・話が終わらなくなりそうなので そろそろ、無理矢理まとめにはいります。 エネルギーは枯渇しないという前提があって ・エネルギーの量はそれぞれある ・エネルギーの質についてもいろいろある ・エネルギーの質は粒子のサイズによって変わる さらに聞きたいことがあって それは、繊細な粒子は、 大きな(細かくない)粒子に弱いのか? ということ。 それは、よく言われることなのだけれど。 愛というエネルギーが枯渇しないならば エネルギーの低下をおそれることはないでしょう? 一旦は、波動は低くなるかもしれないけれど、 また、復活するのだから。 だけど、エネルギーを落とさないようにすることが 大事だと言われていて (わたしもそう思っているところがあります)、 ただ、ある面では ほんとうに一部の枯渇しない人たちもいて その人たちは、愛が湧きでるようにあるから、 エネルギーの低下、波動の高い低いなんて 気にしないで生きている、とも思うんです。 もうどんどん渡してしまうんです。 「エネルギーが」「波動が」 「高い、低い」と言っている時点で、 恐れがある・・・という感じなのかなあ。 ただ、ここは、からだがある、 寿命がある、というところと 関係しているのかもしれません。 あっ、話が前回にもどってしまった。笑 無理矢理まとめに、と書いたけれど まとまっていない。 まるちゃん、ごめんなさい。 アルバートにうまくつたえてください。 よろしくお願いします。 ゆうこ そうそう。 最近、ふと思ったのは、 「月を見あげたとき 東で見るのと、西で見るのはちがうように見えるかもしれないし、 天気によっても、時期によっても見え方はちがうけれど、 でも、空にうかんでいる月はひとつ・・・」ということ。 「宇宙ポスト24のお返事」 さくら~さくら~やよいのそーらぁは~ どうもー アルバートです。 今回もエネルギーについてということで、 ゆうこはこの話題が今テーマなんだろうね。 まず「量」と「質」に興味があるって、 きわめて人間らしいなあって思う。 ごめん、みんな、お忘れかもしれないけど、 ボク、宇宙人、または宇宙存在だからね。 (近所の気のいいおやっさんとか、 イケメン青年に見えたりすることもあるみたいだけど。) だから本質にせまろうとすればするほどに、 キミたちとの開きが出てきちゃうんだよなあ。 そしてこの開きというのは、 まる自身のキャパシティでもあるから、 彼女も頑張りどころだね。 みんな応援してあげてね!(笑) どんどんいい意味でゆうこがせめてきているから、 ボクらもどんどんグイグイ行きたいなあ。 じゃあ、きょうもいってみよーう! ボクが「人間らしいね」というのは、 やっぱり「からだ」があるからなんだよね、 そのゆうこが言ってる発想、もしくは、一般で考えられていることって。 そりゃそうだよね、みんな、だいたい、からだがあるからね。 だから、からだを持つみんなにとっての、 「エネルギーのおはなし」しか今は出来ないから。 ボクがみんなを観察して感じていることね。 それ以上は言葉に出来ない分野だからね。 だから厳密にいうと、ボク自体がどう感じているかは、 体感してもらえないと伝わらないから、 言葉でお伝えするのは無理です。 あ、からだがないボク側の体感ということも、 ややこしい話になっちゃうね。それに近い体感ってことね。 そのうえで、お話できることを書いてみるよ。 まずね、人間にとって、エネルギーというのは、 そのからだを通してのことすべてだとボクは感じているよ。 エネルギーを感じれるのは、 そのからだを通してだからね。 宇宙エネルギーも地球に存在しているエネルギーもね。 質の違いというのは、そういう人間のからだを通して感じることや、 その使い道や、都合によって、 「そう判断されているエネルギー」の違いなんじゃないかな。 人間にとって、動物たちにとって、おいしい水。 おいしい水は都会では珍しいから買うとそれなりにお金がかかる。 湧水が豊富にある地域ではタダで飲めるのにね。 粒子の細かさの違い、という考え方も、 ひとつの側面からいえばそうだけれど、 だからといって、粒子が細かいからいいかといえば、 そうでもないんだよね。 なんでもそうだけど、時と場合による。 愛もただ愛だけど、時と場合によって、いろんな状態になるでしょう? あたたかさや、つめたさや、厳しさ・・・。生まれる生きる死ぬ・・・。 その全部が愛ってことは、今まで伝えてきたけどね。 人間側のとらえ方。 からだを通しての。その存在を通しての。 立場が違ったら捉え方も違うし、感じ方も違う。 人間にとっては毒になっちゃうものでも、 ほかの生き物や植物にとっては、必要な栄養素であったり、 そういうことってあるでしょう? それは質とかじゃなくて、からだを通してのバランスの問題だよね。 人間は自分で生きるバランスを他のものに 明け渡してしまってきたから、そのバランスを取り戻すことに 時間がかかっているんだよね。 波動が高い低いは確かにあるよ。 でも、あるってだけで、どうもこうもない。 高くても使いこなせなかったり、見えなかったり、 低くても、へっちゃらだったり、 それをエネルギーに変えて有効に平和的に使えたりもする。 すべては変化させることができるの。 変化、変容しつづけることが、宇宙だからね。 みんなもその宇宙の一部なのだから、恐れることはないんだよ。 『エネルギー(波動)のことをある程度、知ることができ、 愛が枯渇しないことをからだに落としこめたら、 世界はずいぶん明るくなる気がするなあ。』 それは個人個人が、 ひとりずつ、やっていくしかないよね。 誰かに明け渡さないでね。 国とか特定の研究機関とか、 どこかの偉いひとや賢いひとがやることじゃないんだよ。 みんながやることなの。 みんなの共通意識が愛に向いて行ったとき、 代表でもっと広く友好的に有効的にでもあるんだけど 広めようというひとも出てくるはず。 でもそれでも、みんな変化し続けることを恐れないでね。 そこで終わりじゃない、どんどん続いていく流れ。 ハートで生きるってよく言うでしょ? それは心を開くことでもあるけど、 拡げるってことなの。自分の全てを。 エネルギーを拡げる。 拡げたらどうなっちゃうの?? って怖いひともいるでしょう。 何か自分の内側が変わってしまうんじゃないか? と恐れも出てくるでしょう。 それでも拡げ続けるの。 恐れはいろんな愛をくるんで見えなくさせてしまうから、 ひととき、何か、不都合なことが起きてきたり、 拡げることを止めさせようとすることが起きたりするでしょう。 でも、いっぱいいっぱいに手を拡げても 届かなかった、まだ見ぬ、仲間たちに その拡げたエネルギーがそのうち届くはずだから、 そうしたら、お互いに、ひとりではないということがわかるでしょう。 名前も顔も知らない同士でもそのつながりを感じられるでしょう。 いずれ会えたり会えなかったりもするだろうけど、そんなことは関係なく。 愛はそうやって広がっていきます。 いろんなものを超えて。 これはイメージの世界ではないよ。 多くのエネルギーがそのままでは見えないし感じられないのと一緒で、 今は見えないし体感出来てないひとが多いというだけ。 からだを大切にしてね、ってボクがいうのは、 そうやって、エネルギーを拡げるだけではなく、 今ここにいる「自分」がしっかりとそのからだを持って 自分を活かしてほしいなあと感じるからだよ。 枯渇するってことを考えるということは、 愛がフリーだよってことを感じられてないからなんだよねえ。 『愛というエネルギーが枯渇しないならば エネルギーの低下をおそれることはないでしょう? 一旦は、波動は低くなるかもしれないけれど、 また、復活するのだから。 だけど、エネルギーを落とさないようにすることが 大事だと言われていて (わたしもそう思っているところがあります)、 ただ、ある面では ほんとうに一部の枯渇しない人たちもいて その人たちは、愛が湧きでるようにあるから、 エネルギーの低下、波動の高い低いなんて 気にしないで生きている、とも思うんです。 もうどんどん渡してしまうんです。』 エネルギーの低下というのは、 たとえばスピードがひととき速くなったり遅くなるようなもので、 それも大きい視点からいえば、ひとつのバランスなの。 人間の心臓だって機械みたいに規則的ではないでしょう? エネルギーも生きているんだから。 気にしないで生きているひとが、 どんどん渡してしまうということは、 さっきボクが言った「拡げる」ことを常にしているひとたちだと思う。 低い波動のところに行くと疲れるということは、 よく聞くし、そういうこともあるだろうと思う。 でも、何で疲れるかというと、ただその低い波動のせいにしがちだけど、 自分自身のバイブレーションに同じものがあるからなんじゃないかなあ。 だからそこに同調しちゃって疲れる。 それがイヤだったら、自分の内側から変えることが大切だよね。 どうすればいいのか?は自分で感じてみてください。 すぐに人に聞かないほうがいいときもあるよ。 愛が泉のように湧き出ているような人も、 100パーセント愛か?って言ったら違う人もいるだろうね。 だけどどうやったら、自分が、きもちよくいられて、相手もそうなのか?とか、 そういう当然のことが出来ているひとなんじゃないかな。 ああ、でも、人間は本来、100パーセント愛だよ。 違うっていうのは、そのことを本当には思い出せてないってことね。 どうしても、疲れちゃったり、何か自分のエネルギーを奪われる気がする! というひとは、ひとまず、愛をどんどん流してみて。外側に。 それは「いいひと」「やさしいひと」になるということじゃなくて、 「つよいひと」になるってことだよ。 考えようとしても、こういうことはそれでは出来ないから、 自分がやれると思うことでやってみてね。 ゆうこもほんとうはわかっているよね。 月の見え方のことからのメッセージが全くその通りです。 ボクが言ったエネルギーのとらえ方についてと一緒だよね。 あとは体感なんだろうけど、 お便りではうまく伝えられない! また今度デートしようね☆ 今日は以上だよ~。 宇宙からLOVEを花吹雪に乗せて。 アルバート 人間の寿命についても、ゆうこが書いていたけれど、 もしからだが無くなってしまってからも、そのひとのエネルギーは残ります。 それが変化し続けるということ。そこで終わりではないの。 そのことについては、また今度ね。
by uchu-post
| 2014-03-31 10:00
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